2001年
本日より、ミラはタカタにおいて温存。街乗りはアルトワークス。いちおうロールバーと足だけはダートラ仕様なので、練習車として使用するかも。と、いいつつも、一番の理由はエアコンの付いた車に乗りたかったから。だって、夏は暑いんだもん。
アルト君は好調です。いずれ写真も公開予定。
行ってきました。広島ダイヤモンドホテルでのJAFの表彰式の中で行われました。賞状、目録、いただきました。
賞品はブレーキパッド1台分でしたが、ミラには設定がなく、アルトにも設定がないということで、アルトのフロントショック2本に振り替えていただきました。ありがとうございます。
しかし、食べ物なくなるの早かったなあ・・・
大事なテストの前日のため迷いつつ、気がついたら締め切りギリギリにエントリーしてました。
今回は日帰り。自分の順番以外は睡眠。何となく集中力に欠けるなあ。
1本目:コースに迷いつつ、久しぶりというのもあって、完熟ペースなのにまともに走れず。
2本目:気合い先行で空回り、自滅しました。
A1は台数こそ少ないものの、ドライバーも車もレベルが高い。
次回は3位に入りたい。
今日は誕生日です。なのに、会場へ着く前に一波乱あり。
中国道津山SAを過ぎてすぐに、クラッチトラブル、走行不能に。街乗り兼練習車のアルトは修理工場に預け、代車で高田へ向かったのでした。幸い、あいおい損保の最上級の保険に入っていたため、30kmまでのレッカーは無料になったのですが、修理代が痛い。
何となく嫌な空気が漂いつつも、1本目走行。やはりミスするも、前回に比べれば勘が戻ってきました。2本目に期待したのでしたが、、、
2本目、気持ちよく1コーナーに進入、きれいにクリアしてアクセル全開で出口へ、、、おっとっと、轍に落ちてしまったようです。どうすることもできず、1回転、さようなら。今回はボディはもう使えそうになく、元気な内蔵達は臓器移植を待つことになりました。
この後、2週間ほど首が痛みました。
アルトを預けた修理工場へ行き、引き取り。ああ、よかった。やはり、ふだんから競技車両でないと落ち着かない。
ミラの復帰へ向けて頑張って働くぞ〜
福島県まで取りに行ってきました。競技車両ではなく、普通の車で、ボディだけ使って中身は移植しました。内張りの形が合わなかったり、けっこうめんどうな作業だったようで・・・いつもながらタカタテクノサービスには感謝です。
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